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小池さん 

ボクの助監督時代の先輩でテレビ映画の監督である小池要之助さんが亡くなっていた。
今日、奥さんから届いた喪中の挨拶の葉書で知った。
68才だった。

小池さんとは国際放映という砧の撮影所で知り合った。
昔の新東宝撮影所で、今の東京メディアシティだ。
ボクより少し年上の助監督でボクがサードの時は彼はセカンドで、ボクがセカンドになった時は彼はチーフだった。
そしてボクがチーフになった時、彼はテレビ映画で監督になった。
とても小柄な人だったが、凛と背筋を伸ばしてハリのある声で撮影現場を指揮していた。
そんな小池さんを慕った年下の助監督は多くいた。
監督になったと云っても仕事は多くある訳ではなかったので、助監督に戻ったり、また時々監督したりの日々だったと思う。
代表作は『大追跡』『プロハンター』『探偵物語』等。
そして彼は『ア・ホーマンス』という本編(映画)で初めて監督をする事になった。
しかし主役の松田優作と衝突し、降板することになる。
優作とは同じ下関の出身で優作の信頼は厚かったと聞いていた。又、同じ出身の片桐竜次と「下関の三馬鹿」と呼ばれるほど仲が良かった筈なのに…。
降板の理由をボクは詳しくは知らない。

優作の事をボクは国際放映で撮っていた『太陽にほえろ』とか『俺たちの勲章』の新人時代しか知らない。
その後のスター街道を歩み、カリスマになってゆく時代をボクは優作と伴にしていない。
唯一度だけ、彼が下北の小さな劇場で舞台の演出をしたのを観に行ったことがあった。
劇中の主演役者の拳銃の構え方が、様になっていないのが気になり打ち上げの宴席で優作に身振り手振りで話した事があった。
優作はむっとした顔をしたけれど、おとなしく聞いていた。
その頃の彼はまだ人の意見を聞く耳を持っていたのだろう。
以後、彼は世話になった監督やプロデューサー、そして先輩の役者達の意見も聞かなくなった。
彼の周りには「イエスマン」しか集まらなくなっていった、とボクは聞いた。

小池さんの『ア・ホーマンス』の降板もその辺に原因があるのだろうか…。
郷土の先輩の小池さんを優作は、斬ってしまった。

松田優作

その後、小池さんはVシネマを何本か演出するけれど、段々と劇映画の世界から遠ざかる様になる。
軸足をPR映画等の世界に置くようになる。

そして10年程前、ボクは小池さんと再会する。
丁度ボクも当時勤めていた会社の命令で劇映画の世界を離れ、CS放送のプロデュースしていた時だった。
きっかけは忘れたが、ボクの作っていた『20世紀のファイルより』という歴史ドキュメンタリーのシリーズ番組の演出をしてもらった。
小池さんはその数年前にがんを患い、当時は快復していたもののあまり無理は利かない身体だった。
その低予算番組は助手無しの一人演出でロケに行き、カメラを回し、一人だけで編集するという難作業の一時間番組だった。
若い演出家ならいざ知らず、映画やドラマの監督を経験した人にはとても耐えらえない環境である事をボクは身に沁みて知っていた。
しかも圧倒的な予算不足で十分な映像が撮れてない為、編成サイドからは容赦のないクレームが日常茶飯事に起こった。
それによる連日のやり直し再編集で、徹夜の日々を余儀なくされた…。
随分身体に無理をさせてしまった。

それでも最後は、その番組の中でもとても満足度の高い作品に仕上げてくれた。
流石、という思いに駆られた。
確か題材は『氷川丸』。もう一つは『関門海峡』だったはず…。


そんな、小池さんが亡くなった。
あの世で優作と再会の杯を交わしたのだろうか?

小池さんも優作もボクも共に20代の頃、
おんぼろで汚い国際放映という撮影所で、夢を追いかけて走り回った…。

あの時代は二度と帰らない………。
さようなら、小池さん。
合掌。


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2010. 11. 24. (Wed) 18:09  [映画コメント:0  トラックバック:0

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