イーストウッドの最新作。
監督は長年イーストウッド監督映画のプロデューサーをやっていたロバート・ロレンツの一作目。
だから、イーストウッドのやりたいことは判っているはず。
いい意味でも、悪い意味でもイーストウッドの映画だろう。
ファーストシーンから自分のオシッコの出の悪さに毒つく頑固親父ぶりは『グランド・トリノ』以上。
多分、家族にも疎まれた嫌な親父役なんだろうなと予想がつく。
お話は、引退間近のMLBのスカウトマンのイーストウッドと娘(エイミー・アダムス)の再生のお話。
妻はすでに亡く、年老いた一人暮らし。
子育てをして貰わなかった娘は親父とは肌違いの優秀な弁護士で都会暮らし。
その父の病状を父の親友から聞き、少しのあいだ父の面倒を見るためにやって来る。
定番のアメリカン・ホームドラマだ。
この娘役エイミー・アダムスもどこかで見たなと思っていたら、『ザ・ファイター』の酒場のオネエちゃん役だった。
いかにもヤンキーなアメリカ娘。
そして、その娘と恋仲になるのがジャスティン・ティンバーレイク。
(これもどこかで見たな、と思ったら『ソーシャル・ネットワーク』だった。)
彼はかってイーストウッドがスカウトしたレッド・ソックスのピッチャーだったが、やがて肩を壊し、今は新米のスカウトになっている。
話のミソは、『マネー・ゲーム』とアンチ・テーゼみたいで、
デジタルな情報なんて叩き上げのスカウトマンの眼力には敵わないという筋立て。
いかにもアナログの極みだが、これがボクらにはとても心地よい。
最後は大円団ですべて上手くゆくのには少し引けるけれど、まあまあ良しとしましょう。
兎に角、すべてが渋ーい。
これはボクらには堪えられない魅力がある。
イーストウッドの老けぶりにも、
ボクも出来るならあんなジジイになりたいと思ってしまう程、いい。
そして、思わずニヤリとしたシーンがあった。
妻を亡くし、仕方なく6歳の娘を連れて野球場周りをしていた時に娘が変質者に襲われそうになる。
その時、危機一髪飛び込んだイーストウッドが変質者を殴りつけるシーンがあった。
そのイーストウッドの顔が、多分あれは『ダーティ・ハリー』だと思うけれど、それと同じカットを使っていた事。
つまり、過去のことであり、当然若いイーストウッドな訳で思わずひとり劇場で嬉しくなった。
それ以来、娘を連れ歩かず親戚に預けたままというのが、この映画の伏線になって活きている。
娘からすれば父に捨てられたと思うわけで、
オヤジからすれば仕事を続ければ仕方ない、という事になる。
人生は難しい。
それにしても、イーストウッドは監督は引退したのだろうか?
共和党の応援なんかしないで、もう一本撮ったらどうかと思うのはボクだけではないはずだが…。
監督は長年イーストウッド監督映画のプロデューサーをやっていたロバート・ロレンツの一作目。
だから、イーストウッドのやりたいことは判っているはず。
いい意味でも、悪い意味でもイーストウッドの映画だろう。
ファーストシーンから自分のオシッコの出の悪さに毒つく頑固親父ぶりは『グランド・トリノ』以上。
多分、家族にも疎まれた嫌な親父役なんだろうなと予想がつく。
お話は、引退間近のMLBのスカウトマンのイーストウッドと娘(エイミー・アダムス)の再生のお話。
妻はすでに亡く、年老いた一人暮らし。
子育てをして貰わなかった娘は親父とは肌違いの優秀な弁護士で都会暮らし。
その父の病状を父の親友から聞き、少しのあいだ父の面倒を見るためにやって来る。
定番のアメリカン・ホームドラマだ。
この娘役エイミー・アダムスもどこかで見たなと思っていたら、『ザ・ファイター』の酒場のオネエちゃん役だった。
いかにもヤンキーなアメリカ娘。
そして、その娘と恋仲になるのがジャスティン・ティンバーレイク。
(これもどこかで見たな、と思ったら『ソーシャル・ネットワーク』だった。)
彼はかってイーストウッドがスカウトしたレッド・ソックスのピッチャーだったが、やがて肩を壊し、今は新米のスカウトになっている。
話のミソは、『マネー・ゲーム』とアンチ・テーゼみたいで、
デジタルな情報なんて叩き上げのスカウトマンの眼力には敵わないという筋立て。
いかにもアナログの極みだが、これがボクらにはとても心地よい。
最後は大円団ですべて上手くゆくのには少し引けるけれど、まあまあ良しとしましょう。
兎に角、すべてが渋ーい。
これはボクらには堪えられない魅力がある。
イーストウッドの老けぶりにも、
ボクも出来るならあんなジジイになりたいと思ってしまう程、いい。
そして、思わずニヤリとしたシーンがあった。
妻を亡くし、仕方なく6歳の娘を連れて野球場周りをしていた時に娘が変質者に襲われそうになる。
その時、危機一髪飛び込んだイーストウッドが変質者を殴りつけるシーンがあった。
そのイーストウッドの顔が、多分あれは『ダーティ・ハリー』だと思うけれど、それと同じカットを使っていた事。
つまり、過去のことであり、当然若いイーストウッドな訳で思わずひとり劇場で嬉しくなった。
それ以来、娘を連れ歩かず親戚に預けたままというのが、この映画の伏線になって活きている。
娘からすれば父に捨てられたと思うわけで、
オヤジからすれば仕事を続ければ仕方ない、という事になる。
人生は難しい。
それにしても、イーストウッドは監督は引退したのだろうか?
共和党の応援なんかしないで、もう一本撮ったらどうかと思うのはボクだけではないはずだが…。
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